暑さに押しつぶされそうな中をぶらついていたら、
ミュージアムショップでレーベルinpartmentの特集をやっていた。
ポスターを見た感じひっかかったのと、またinpartmentの音楽が近しいことからして、
好めそうなものだと思い、観に行った。
鈴木理策写真展atオペラシティ。
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※場内撮影可だった
風景写真がメインで、人の顔が映っている写真はない。
人が認識できるのは1-2枚程度。
自然風景がメインで、木々、岩、水。
フォーカスする写真ではない。
かといって必ずしもパンフォーカスで撮影しているわけではないが。
映像もあったが、対象をどれか一つに絞るのではなく、
浅い被写界深度のままフォーカス対象を変えていく一連の流れを
そのまま展示していた。
意味が付与される前の感覚を提示したいという意思。
whiteという展示では、雪と白いキャンバスを分かつのは観測者側によってだ、
みたいなソシュールライクな投げかけがあった。
意識の流れ、という表題もだいぶ意識的である。
無意識のたとえでよく出てくるのは氷山である。
人間は全脳細胞の1割程度しか使用しておらず、
他の9割は眠っており、これらが無意識を担当している。
脳全体を氷山に例えれば、意識は水面から突き出た一角のようなものである、という話。
水面より下は無意識なのだ。
水位は日によって上下したりする。
水中は陸から眺めることが出来るが、手を伸ばした先に本当にそれがあるとは限らない。
ただの水面に移った自分自身の残像かもしれない。
展示されている写真は水面が多かったため、そんな事を考えつつ、
「そんな事を意識しているなあ」と自分の意識をなぞれた。
深淵を覗き込む時は深淵もまたこちらを覗き込む義務があるのだから先方を気遣って休み休み覗く位にするべきである。
涼しい会場で写真を観ていたら風が浴びたくなって、
また押しつけがましい暑さの中をアスファルトに運ばれることにした。
展示の最後に、風がみえる写真が1点だけあった。
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風景写真というのは、いつ見ても視覚とは全く異なる。
異様である。
写真そのものを、脳がどのように補い彩るのか、それをなぞるのもまた面白い。
そう思う。