イブサンローラン。
イブサンローランの最上級ライン、
リヴゴーシュがデザイナーズブランドの極みだと思っていたのである。
サンローランジーンズのジーンズは言わずもがな、
リヴゴーシュのYSLという文字が浮き上がる(黒歴史とも言えるダサさの)デニムも持っていた。
これは実家で永眠しているトム期、■である。
(rive gaucheの文字の周囲の四角の色でいつのデザイナーのものかわかる。初期エディはオレンジだったような。)
ヒッコリーのリゾートパンツなんかも持っていたし、もちろんシャツもカットソーも持っていた。
今やそれらは全て手放した。
着ていく場所などないし、どこにそれを着ていってもちぐはぐな印象しか得られなかった。
似合わないし、着ていて気持ちよくもない。
何故買っていたのか。
1つは、リヴゴーシュの服の美しさ。
正直、今やいくらでも代替可能なレベルなのだが、
ディティールにしっかりと気を配って作られた極度に構築的な服は、美しかった。
その分とんでもない値段だった。
もう1つは、憧れである。
そしてこれが思い出すと苦い。
恥ずかしい、というより苦い。
昔の自分にとって、リヴゴーシュほど「ヨーロッパの素晴らしい生活」をイメージさせるものは無かった。
一方であの服を買う時、自分は「着たい」と思っていなかった。
「着たい」という感覚から最も遠い所で買っていた。
当時自分はとても意識的に「これは幻想を買っているのだ」と思い、服を買っていた。
その服は私には着られない。
その服は私には似合わない。
その服はこの国に必要ではないし、その服にその対価は明らかにおかしい。
「ヨーロッパの素晴らしい生活」のための服であって、その服を買ったからといって、
その生活は絶対に手に入らないし、たぶん手に入れたくもない。
そう意識して買っていた。
自分は頭がおかしいのではないかと思った。
でも身体としては腑に落ちかかっており、それに適合する言葉だけが不在だった。
昔、B-BOYルックだった時代があり、その時アカデミクスというブランドを「かっこいい」と思って買った思い出がある。
あんな恰好絶対おかしかっただろう、と恥ずかしい。
VIKTOR&ROLFの高価なセットアップを一張羅として買った思い出もある。
なぜ不釣り合いって思わなかったんだろう、と恥ずかしい。
どちらも今では恥ずかしい。
しかし、リヴゴーシュに対して想起するものはそれらとは異なる。
苦い。
当時を思い出すとただ、苦い。
この感覚を述べる言葉がわからない。
欧州の物好きな貴族ではないので、パトロンというような立場で買っていたわけでもないし、
弾かないギターのように、部屋の中の洒落たインテリアとしていたわけでもない。
偉大な神殿建築の祭壇の香に火を灯し煙が立ち上り壁に染み入るその荘厳な完成した過程から逃れられないような、苦さ。
よくわからない苦味にもがきながら思い出す。
あの時のモノの買い方からすれば、今では随分買い方が変わった。
モノを買えなくなった。
これは良いことなのだろうか。
bengal
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> 日本人でよかった。右岸、左岸、いずれも気にせず贖って装うことができるので!
贖うんですか。独特な発想ですね。
階級意識を全く気にしなくて良い、というポジティブな考えは良いですね。昔は、私の周りでは「日本には階級意識が無い」とネガティブにとらえている人が多かったので。ネガティブというよりはShameにとらえているというか。それもまた欧米からしたら独特な発想なのかもしれませんけど。
Brassai
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芸術、前衛的なrive gaucheのアルニス ブルジョワ、貴族的なrive droiteのエルメス、いずれも価格面では庶民の手に届かないクローズだと思います。
階級社会に生きる人たちからすれば、貴族に属さない場合は、rive gaucheのクローズを求めるのでしょうね。
日本人でよかった。右岸、左岸、いずれも気にせず贖って装うことができるので!