表参道に行くためにメトロに座った。
相変わらず今日も石原さとみによる東京メトロ各駅侵略の中間報告が液晶で放映されている。実に涼しい顔で新手の戦国武将は各地に上陸していく。メトロの各駅はどこも石原さとみのエッジィなワードローブを叩きつけるランウェイとなる。各駅の地主は酒を差し出し郷土固有のものを差し出し人払いを行い最大限の厳戒態勢を敷く。東側が陥落する日も近いのだろうか。

しっかりした足取りで老人が乗車してきた。向かいの席に座る。ナイロンのオリーブ色のリュックを膝の上に置いた。丸眼鏡で綺麗な白髪、口元の髭が渋味ある70歳前後の男性だ。
ボルドー色のレザースニーカーには斜めにジップが走っている。スティッキーフィンガーズ。裾から覗くソックスはドドメ色のボーダー柄でカーキの微起毛のコットンパンツに半袖のネイビーシャツをタックインしている。シャツの生地はポリエステル混だろうかマットに質感が抑圧されている。眼鏡はマーブルのアンバーカラーの細いセルフレームでレンズに色気が潜む。
顎に手を当て邪馬台国の云々と大きく書いてある厚い単行本を読んでいる。理知的な印象を纏い如何にも教授のごときエナジーフロウを漂わせている。腕の振り下ろしや歩行の際の脚のさばき方など動作の一つ一つが非常に紳士然としており武道の体得者に見えなくもない厳格な佇まいであり彼ならば石原さとみのコロニアルルックの放つキナ臭さを慧眼を以て指摘し民衆を解放するかあるいはイナゴ身重く横たわるこの戦線においてレジスタンスを導くような易を引き当て世界戦争を別の形で終わらせるべく時空を渡るのかもしれない。

といった事をイーロ・ランタラの叩きつけるような豪速ピアノを聴きながら考えていた時、隣にサッと、黒く質感の良い10cmはあろうかというハイヒールにオリーブ色の上品なスエードのようなワンピースの女性が座った。長い黒髪を結び胸元をはだけさせオーパーツのようなロングネックレスを配置しうなじからデコルテへかけてを穏やかに露出しておりある種ミステリアスな雰囲気を放っている。
教授の艶やかなレンズが鋭く光った。顔は邪馬台国のミステリーを追っているが瞳は面舵いっぱいミステリーの女性を追っている。卑弥呼とは某女優のことか某婦人靴メーカーか。教授の瞳はもはや常人が動かせる範囲を振り切れ目はほぼ白目だ。ホワイトレーベルの目玉を持ちながらも教授の内心はすっかりパープルレーベル。淫靡なるハイエンドライン。教授の瞳が下っていく。彼女の腰つきにOEM先ガジアーノさながらのキューバンヒールの角度を求める。ヒールカップ…フィドルバック…半カラス仕上げ。何をフィドルして何をカラスに塗るって何がカップなんだかもう大変だ。いや私も何を言っているのかわからない。エナジーがフロウしている。裏BTTBの裏はUncensoredなのでは。

教授のボルテイジは高まっているのか彼のレザースニーカーがトクントクンと床を嫋やかにゆっくり打ち始めた。あまりにもスローテンポなので私の脳内ではスティーブライヒのDRUMMINGの序章でタン…タン…と虚空に鳴り響くはじまりのドラム音がオーバーラップして脳内はこれから始まるインスタレーションへの期待で彩られている。リッチーよ、シンコペーションのキックをくれ、ここに原始の荒野から21世紀のイビザまで続く欲望と生命の鼓動があるぞ。ライリーよC調をくれ、ケイトリンアウレリアスミスはいないが東京メトロにはジェイムズ・ホールデンのDNAが残っている。アニマル・スピリッツ。

駅は銀座駅に着こうとしていた。教授の踵が奏でる楽章は盛り上がりに差し掛かり、ライヒのオクテットのように安心感のあるスピード感を伴っている。隣の妖艶な女性は十二単を背負ったような豪奢なマツゲをぱちくりさせてスマホをのぞき込んでいる。しかし教授はと言えばなにものぞき込んでいない、それどころか単行本をしっかと手に持ち開いたまま目はきつく閉じられている。教授は深淵をのぞいているのではないか。深淵もまた教授をのぞいているのだろうか。それとも深淵は教授の瞼の裏をスクリーンとしてVシネマを提供してくれているのだろうか。

溜池山王だ。卑弥呼はとつぜん席を立った。背が高い。建立されるバベルの塔。そして彼女はヒールを打ち鳴らし、電車を降りていった。突然止まる教授の音楽。崩壊する教授の股間のテント。何一つ残らなかった。息が冷えた。小鳥は空から落ちた。フランキーは死んだ。終わったのだ。俺たちはみんな地獄にいるのだ。空しく励ましが響く。Nigga, we gon’ be alright.

驚くべきことに溜池山王を出た瞬間から時が動き出したように教授の顔に老いが差し込んだ。もはや別人のようだ。今の彼の失望具合ならマドリード郊外で黒い絵を書き続ける生活を選びかねない。

ところが青山一丁目に着いた時、教授は電車に乗り込んだ時と同じように紳士然とした振る舞いをで席を立った。どこにも隙がないシンメトリックな身のこなし。そのまま彼は何もなかったかのように、家具の音楽がいつの間にか流れていた時のように、さらりと立ち去った。何なら外に出た彼は軽快な歩行でさながらtong-pooのごとくのピアノタッチだ。

しかし教授が座っていた席には複雑な威厳が皺を残し拭い去れない何かが座面を毛羽立たせていた。

表参道に着いた。私は席を立った。

ある詩人が言った。観念の世界に生きる以上、飢えるのはあたりまえだ。フランスからの留学生はそれを見て言った。「あー文化人は性欲強いからね」。