白い服が怖いという話である。

 

シャツというと「白い」とか「真っ白な」という枕詞が付くことが多い。

ワイシャツという言葉自体、White shitsを由来に持つくらいにはシャツは白が基本で、熱湯洗いを頻繁にしたり、日本と違い染色基準が緩い欧州からしたら、「白」はある種、扱いやすかったのかもしれない。

つい最近まで、白シャツ以外の白いだけの服はあまり持っていなかった。

コズミックワンダーやらマルジェラを着ていた時期も、ベージュや生成り、薄水色やオフホワイトを選んで着ていた。

白はどうしても印象が強すぎるし、汚れが付くということに敏感になるのが嫌だったし、何より何か怖かった。

が、白い服を着ることによってレフ板効果その他諸々で気持ちが前向きになるのでは、あるいは誠実で明るい気質の人が白を選ぶという知見を知っている私の認知を元にして認知的協和理論により習慣にポジティブなフィードバックがあるのではとかいう謎の行動心理学マインドによりいくつかチャレンジしてはみた。

 

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友人の影響で白スニーカーを作るまでになって仕上げたこれは、無印の紺スニーカーを水酸化ナトリウムで脱色し、煮沸・天日干しの後、生地を焼いて白の顔料を塗りこみ高熱で乾燥させたものである。

加工っぷりでアルチザン臭がするのにもかかわらず、足元が浮つく。

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白いナイロンブルゾン。

これなんか、浜辺くらいしか着るタイミングが無いのでは、とか考え、そんなアッパーでブリリアントなライフスタイルには縁がない陰影礼賛族である私は一度も外で着たことがない。

白いワイドクロップドパンツなどもあるが、白パンなんかイキってるイタリア風吹かしたオヤジのような妙な偏見がべっとりついてしまい、(全然そのジャンルのパンツではないのに)今や触れることすら出来ない。

いずれも捨てることにした。

 

白い服を選んで着ることにより「白い服を選んだ私の意思の誠実さは明白です」というハレーション効果を狙うスタイルも世の中にはあるらしい。

私は白い服には妙な恐怖を抱くが、それは「自らを晒したくない」という考えかもしれないし、潔さのみが正義となるディストピアに対する恐怖でもあるかもしれないし、カレーうどんの汁を当ててしまうかどうかの恐怖かもしれない。

そういった一塊の混沌を抱えていること自体が、白い服を選ぶには程遠い存在なのかもしれない。

今後、そういう人間でも生きられる世界であり続けるのかどうかは、星新一に聞かなければわからない。