シャツ100枚まで残りわずかとなった。
今更ではあるが、なぜシャツなのか。
なぜシャツのブログをやっているのか、なぜ学生時代からこんなにシャツばかり買っていたのか。
それは、面倒くさい彼らが持つ魅力に、取りつかれたことによる。
シャツというものは消耗品である。
襟・カフなど、肌に密着する部分は劣化しやすく、それらは露出しているので人目に触れやすい。
今はメーカーズシャツ鎌倉を筆頭に、
「襟・カフの取り替え」というメニューを持つシャツ屋があるが、
それでも淡い色が大半を占めるシャツは汚れがつきやすく、消耗が激しい衣類の一つ。
欧米では下に肌着を着ないのでもっと消耗が激しいだろう。
こだわる(お金をかける)対象として見ると、パフォーマンスに優れない。
しかも、シャツはめんどくさい。
形態安定加工をしていれば、アイロンがけが不要な場合もあるが、
高級なシャツは概して風合いを損ねる為、加工をしていない。
当然でしょという顔で「手洗いしてください」と言われたりする。
ボタンもほつれる。
畳んでおけばシワが付く。
ユニクロのシャツは2,990円でサイズ展開がかなり広い。
綿100%形態安定。
他方でイタリアのシャツは、
高いもの(例えばFRAYとか)で3万~4万する。
高いイタリアのシャツを買ってメンテナンスに疲弊するより、
安いユニクロのシャツを使いまわしてジャケットで差別化する方が、
経済的なのではないか。
何度もそう思ったが、シャツの魅力には抗えなかったのである。
スタイリングの幅の広さとか、
前開きで被らないものであるとか、
ボタンを留めていく様の美しさ、
ハンギングされている時や、
風になびく様が素晴らしいとか。
色々あるけれどその辺は、またの機会に。
だが、集めてきたシャツも、もうお別れをしなければならない。
日常的に着られる量を遥かに超えているからだ。
この前、実家でハンギングしっぱなしになっていたルーウィンのブルーシャツを捨てた。
色褪せていたからである。
彼は完全に死んでいた気がする。
そして、それを「あーあ」と真顔で20Lのポリ袋に詰め込んだ自分も完全に死んでいた気がする。
あまり着ない服というのは、寂しげな顔をしている。
折り畳んだLOLOの生成りシャツがタンスの底から出てきたとき、
他の奴らの足蹴にされ放置されたのが気に障ったのか、めっぽう拗ねていて、
4回位着るまで気を許してくれなかった。
当たり前だが彼らは着られる為に生まれてきたのであって、
箪笥で寝かされたりハンギングされたり撮影されたり細部を点検される為に生まれてきた訳ではない。
1人の人間が定期的に着ることのできる服は限られている。
苦渋の思いではあるが、手放さなければならない。
と、服のせいにして断捨離をする自分の価値観も、
再考しなければなるまい。
その価値観も、手放さなければならない。
これは私とシャツの供養なのである。
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