APPLE包囲網を抜け出すために久々にiTunesを起動してみたら2018年に良く聴いた音楽がわかったので、それについてでも書いてみよう。

1.Hobby horse

ガゼル・ツイン。自己イメージをマスクしてジェンダーを破壊しにきた現代のインダストリアルスター。

リードトラックは「Hobby Horse」。強い風圧で送り出されるリコーダーの不穏なピッチの音と、馬の蹄のサンプリングや高ピッチのビープ音が良い相性で焦燥感を掻き立てる。それを一層盛り上げるように八拍の裏に高音のSEを織り込む。このアジテートなビートと歌詞がビョークのDeclare independenceを思い起こさせるが、そこまで直截的な歌詞でなく、音楽はキッチリと理論に基づいている。メッセージの主体の居心地の悪さをそのまま表している、つまりイギリスの今の状況に沿ったものになっている。ガゼル・ツインの中の人、エリザベス・バーンホルツは、リベラルが集中する都市から保守層が点在する地方に移り住み、2年前のキャメロンの国民投票でBREXITを支持する隣人を見てショックを受けている。その中で出来た作品がこれだ。「Better In My Day」では”No locking door”など移民受け入れについて歌っていたりするのがわかる。

パストラルというアルバム名は「パストラル芸術」、ギリシャに端を発するスタイルの田園風景と羊飼いたちの理想的な生活を崇拝する作品に向けたもの。アートワークも、クラシックCDを多く流通させたドイツのグラモフォンのイエローラベルにグリッチをかけ、ベートーヴェンの「田園」っぽい風景に赤い衣装の道化師じみたバーンホルツが跋扈したものになっている。

バーンホルツはそれこそ牧歌的なゆるやかな生活が想定される田園風景に移り住んで、そこに住む人々の閉鎖的な価値観に動揺したのだ。閉所恐怖症である彼女の恐怖は、そのまま閉鎖的な田舎での価値観の違いによる疎外感ともつながって表現される。

ホビー・ホースというのは、スコットランドに古くからある遊戯で、棒の先に馬の頭を模したものをつけ、それに乗って遊ぶ競技。それ自体が古い遊びなので「ならわし」=男性性支配下社会という形にも受け取れる。そのまま保守層の表現である。なんなら「馬の棒」それ自体が男根主義に対する皮肉にも思える。だがこれは直截的な批判というより、問題提起に近い。牧歌的な田園の中に耳障りな悲鳴、不穏なメッセージ、焦燥感を掻き立てる音、攻撃的なリズムを同居させることによって、崇拝対象としてのエデンに近似した田園=パストラルの価値観を宙吊りにし、オブスキュアなものに「ぼかして」いる。

その風景は良いものなのか。その見方は固定されているのではないか。童話の裏側に何があるのか。

女性として歌う自分の性を元々マスクしている彼女は「マスクしている事の安心」をかつてインタビューで語っていた。それは黒川紀章が述べるような「都市機能」の一つにも似た「ぼかし」である。

バーンホルツは登場当初から自分の思う方法でオブスキュアにする手段でステレオタイプの破壊を繰り返しており、それを破壊的なインダストリアルミュージックに乗せていく。

だから、この不気味さ・不安感というのはそのまま新しいものへの恐怖である。

それを楽しめるかどうかというと少し違う気もするが、私はこの違和感、不安定な感じが好きで、今後も多分そうなのだろう。

2.ATM

全体が音数少ないコンパクトなトラックに占められており、年齢をうかがわせる。日本で一定の支持を得ている(と思われる)丁寧な暮らし界隈ラッパーとはまた違う、抑揚の効いたトラック。

ちょうど向井秀徳が七尾旅人の新譜を評して送った私信のように、金勘定をするのは動物の中で人ならではの行為だ。

私もエクセルと家計簿アプリで金勘定をしていた。Unos Dos Tresというサンプリングを聴きながら、ランニング費用を弄って年間支出を抑えても、突然の支払い。コールがBig billsと2度歌うようにそれは勢いを増して繰り返す。そうしながらCOUNT IT UPと聞いていると、いつしか「金だッ!」に聞こえてくるような気さえする。いや、頑張れば聞こえる。タモリから手ぬぐいはもらえないだろうけど。

「ATM」はAddicted To Moneyの略で(もちろん出金機のATMに引っ掛けている)金銭中毒を歌っている。このアルバム「KOD」自体がドラッグをはじめとした”中毒”をテーマに置いており、浮気をテーマにした「Kevin’s Heart」など、控えめなトラックにレイドバック気味の歌が好きで未だに良く聴く。今までJ.Coleはまともに聴いたことが無く、前作も一聴して数曲を何度か聴いて終わっていた。今回のアルバムは全く違い、最もアルバム全体でリピートした気がする。

私はお金に執心したくなかったのだが、生活を定量的に管理していくとどうしても時間とお金が立ちはだかる。向き合いたくないけれども向き合わなくてはいけない。仕方なく目標値などを設定する。でも、そうするといつしか「もっとお金が必要だ」と思っている自分がいたりする。

それは際限がない。

お金自体を求めるようになると、目標値なんて高ければ高いほどいい。それをクリアしていくほど気持ち良い。

でも、何かを買ったり手に入れることの喜びと、お金を使わないでいることの喜び、それを天秤にかけて考えるなんて言う事が起こってしまう。

金について考えている自分をATMを聴いて客観視して取り戻す、そんな事を毎度繰り返してはいた、そんな年だった。いやもっと稼ぎたいんですけどね。

3.Gold Purple Orange

ジーン・ガラエとクエール・クリス。最近婚約(もう結婚したんだっけ?)したこの二人は風刺的なアルバムをリリースした。Everything’s Fine。クエール・クリスは以前からドープなトラックを使うので個人的に気に入っていたが今回は一層カオスでクール。

煙たい雰囲気の中で裏表の拍を勘違いするかのようなジャジーなドラム、不安げな調子で歩いていくベース、まんま80年代の販促広告を揶揄するかのようなPV。音楽と相まって、強烈な皮肉なんだろう。ジーンは「“Everything’s Fine”のイメージは、80年代の広告によく見られる、強張った、ハリボテの自信に満ちた笑顔だ」という。現実ではありそうもない理想とされた自信に満ちた笑顔。虚栄の象徴。見るものに栄光を与えようとする意図が透けて見え、見たものはその不自然な硬直に不安を憶える。80年代のリバイバルブームの中でもこのダブルバインドは何も変わっていない。

「万事順調」の裏側に潜むのは”Everything Sucks”ということだ。全てがうまくいっているというのは一面でしかない、いや一面ですらないのかもしれない。それはただの嘘で、その嘘が何の目的に作られたものなのかを必死に隠そうとしている。

Everything、なんていうものはない。

ラップの中でクリスは「経済的に独立した女性は全員態度がゴミ」「若い黒人は全員借金や養育費を踏み倒す」「オルタナ右翼は全員白人」と、メディアによるレッテル貼りやステレオタイプ化の事を次々に皮肉る。いずれも”Everything”という言葉で、ひとまとめに暴力的に絡めとる。

全て上手くいくー全て上手くいかない、その間にいるということが生きているということだ、そうクリスはインタビューで述べていた。

脳は気を抜くとすぐに一般化・単純化して考えてしまう。主語を大きくすることによって複雑な世界を省スペースで保存し理解したつもりにする。理解した瞬間にそれは誤解だという事は認識できないように我々は作られている。だからこそ常に疑い続ける必要があり、そんな面倒な営みもまたSucksと言ってしまいたくなるが、そういう風に作られているから仕方ない。

などと、面倒なことを面倒に引きずりながら今年も面倒に生きてこう。

あけましておめでとうございます。