ポロシャツは鹿子素材だと比較的きりりとなさっている。最近は鹿子のニットシャツが「布帛ではないけどキチっとしてるし現場出てもいいんじゃない?」というノリでdecolloとかビジネス用シャツでもよく見る。

私が求めているのはそういうのじゃない。もっとこうラウンジ。人をダメにしてほしい。一つに溶け合いたい。くたびれた奴をだらんと着たい。そう思って見つけたのがこれ。黒なのか濃いネイビーなのかわからない。アメリカのコットンでアメリカで作られているタピアロサンゼルス。Make America Great Again。

だらだらと着て適当に洗濯機に突っ込んで適当に干しているため、生地も結構毛羽ってきている。最初はなんかヘビージャージーって名前がついてた気がするんだけど、どうした、お前。ここははじめてか。力抜けよ。という対応で雑に扱ったらデロリとなった。

釦を開ければ開けるほどだらしなくなる。なんとだらしない。いいぞもっとやれ。学級委員長の不在だ。自習だ。エピクロス主義者だ。このスタイルを指してヌケコナレエフォートレスリラックスは適当ではない。単にだらしないのだ。


あ、こちらは釦ですね。こちらはだらしないとは言えないと思います、はい、いつもお世話になっております。なにとぞ今後とも、どうぞごひいきによろしくお願いいたします。

襟を立てたりすると、ともすれば「ノンシャランなコナレ感が」とか熟成して凝縮味が増したピー子のような形容を投げる輩がいる。いやこれは糞だ。労働という歯車を引く満身創痍の馬のケツから転がり出た馬糞だ。ワーキング・プアの中年が僅かに与えられた手狭な日曜という休憩室で油まみれの襟がひしゃげた使い古しのカットソーを引っ掛けているだけだ。

「肩肘張らない系」のスタイルは、一歩間違えれば疲れ感・手抜き感につながる、気を付けよう、と言われる。クリーンなトレンドではどちらも避けられるものかもしれない。「装いにマジになってないように見せつつ、シンプルクリーンをマジで装う」というのが今の装いのルール。APCの店員が「ヌケ感の演出に気合が足りてない」と新人に指導していたが、いわば「ナチュラルメイク」の精神で、何もしていないようで激しく何かしているのだ。

エフォートレスだリラックスだっていう各誌の声高な主張は「服にマジになるなんてダセェけどマジで手抜きするのはダメだよ?それで表歩けるようなイケてるツラしてる奴限定だよ?お前らは無理だから全員服に気を遣ってることを悟らせるんじゃねえよ、だけど水面下で頑張ってる白鳥を見習え」という事なので真のエフォートレスは難易度が高い。

ごちゃごちゃ考えて着てる時点でエフォートしてるんだから何も言わず快楽に身を任せ適当に羽織るのが真のエフォートレス。シティーボーイ。考えた時点で既に真のエフォートレスは自分の背後遥か彼方のモルディブ島でシャンパン片手にレイドバックしている。

さらに真のエフォートレスで輝けるのは一握りだ。白鳥は実際、水掻き足をバタつかせてはおらずデフォで浮いている。「あの優雅な姿を維持するために水面下で努力している」と見せかけて全くそんな事は無く普通に優雅。「頑張ってきたから今のあの人はあるのね」と思わせた上でその実何もせずハイスペックステルス機で高高度飛行。Not 銃・病原菌・鉄 but 資産・遺伝・御家柄。

故に我々は永遠に偏屈な選択を続け醜い自意識を墓場まで支えていく。