以前、ジョバンニイングレーゼの白シャツを紹介したが、今一度、今回はよりディティールにフォーカスしてみようと思う。

プーリア州ジノーザにある、ス・ミズーラシャツ専門としてやってきたカミチェリア。ウィリアム王子やベルルスコーニが着ていたと聞いたことがあるが、ドナルドトランプの就任式のシャツもイングレーゼらしい。ま、有名人が顧客にいるよって事だろう。

ほぼ手縫いシャツなので、久々に近視眼的に見ていく。

裾巻きは当然2~3mmの手縫いで脇線も手縫い。それに加え、本来ガゼットが施される位置にカンヌキを入れている。前回のイングレーゼのものと同様。 エマニュエルマフェイスはガゼットにプラスだったが、似ている。様々なガゼットを見てきたが、ボレッリジャンネットエマニュエルバーグなどここにロゴなどをあしらうブランドが多いように感じてきたので、徐々に好印象に思えてきた。(偏見だがロゴを入れるブランドは中堅位か古いかのどっちかだと思っている)。

袖部分。

サルバトーレピッコロのように肘にダーツを入れている。しかも2本。なぜ2本?1本だとピッコロに怒られると思ったのか?動体裁断的に効果的なのはわかるが、そもそも本当に必要なのか。まあ、普段ジャケット着用という前提なら目に触れないので正しいのかもしれないけど。それはさて置き、剣ボロは星縫いだ。カンヌキがここにあるシャツは珍しくはない。


襟裏。以前のイングレーゼのシャツもそうだが、台襟の星縫いは割と目に留まる。第一釦のボタンホールももちろん手縫いだ。手縫いのボタンホールの中では割と綺麗な仕上がりに類すると思う。

このカラーステイを入れる襟羽根の裏の部分。ここにも星縫いが入っている。9割9分見えない所。手縫いにする意味も皆無。じゃこれは何のためなのか。

ヨーク部分。前身頃、後ろ身頃の縫い合わせ部分も全て星縫い。肩は当然マニカカミーチャ。

カフにはミシンが入っている。これがポイントだ。カフの端からのステッチと、襟の端からのステッチ。ここはミシンを使っている。この統一感は上手だと思う。ドレススタイルでジャケットから出て最も外側にある部分、そこまで手縫いだと野暮、そういう意思が感じ取れる。

またカフにはギャザーで取り付けられている。個人的には肩よりカフへの取り付け部分がギャザーになっている方が、クラシックな印象を受ける。

さて、このシャツの手縫いは何のためなのか?なぜわざわざミシンではなく手縫いで縫ったのか?

まず、ミシンは工業製品だ。日本でも高齢の人はミシン縫いでないときちっとしていない、という印象を抱く人もいる。その昔は「手縫い<ミシン」で優れている・耐久性が高い、とみなされていた。しかし広くミシンが普及し工場が乱立した後、手縫いに付加価値が付き、手で縫うということはかえって丁寧に手間暇をかけていると見る人が出てきた。クオーツショックみたいなものだろう。近代化がもたらした工業機械が生む工業製品に伝統の職人の手仕事による付加価値は望めないという事だ。

個人的には手縫いは動きやすさや柔らかさに与える影響度はない、もしくはゼロに近いと思う。手縫いの服をいくつか買って着倒した事があった。例えば手縫いパンツで言うと、股下部分が手縫いになる事によって足を広げた際に少しの伸縮性がある、との説明については「気のせいだろ」としか思えない。実感がないし、パターンや補正、生地の違いの方が遥かに影響度が高い。複雑な変数が絡み合って着心地というものは出来ている。それを単一の「手縫いの伸縮性」という要因に誘導せしめるトークは信用できない。

じゃなんで手縫いがされているのかというと。手縫いの方が楽、とかミシンが使えない、というケースは考えられないだろうか?お家のおっかさんが星縫いでチクチクやってる時に、「あーここもやっちまおう」というノリで縫ったとか、たまたま縫製を担当した人がミシン使えないとか。はたまた、ミシンが高くて買えない。あるいは1台しか家になくて他のものを縫ってるから仕方なく手で縫った。

イタリアのカミチェリアはこのイングレーゼのように一家でやっているパターンも散見される。そういう事情も可能性としてあるはずだ。まあ、手縫い仕事へのリスペクトとして敢えて残している、というのが大半の手縫いの存在意義なんだろうけど。独立時計師すげぇ、トゥールビヨンすげぇ、みたいなものだと思っている。

ただ誤解のないように言っておくが、だからといってイングレーゼの手縫いシャツは価値が低いというわけではない。襟型は素晴らしく綺麗だし、生地も抜群に滑りの良い高番手のものを使っている。

それから手でやることに意味があるのは、釦の根巻とボタンホールである。釦の留めやすさというのはユーザーエクスペリエンスに大きな影響を与える。特許技術で対応するブランドもあるにはあるし、根巻用の機械もあるが、留めやすいかどうかを人の手で確認しているのだから、確実と言えば確実だ。

クオーツショックに対抗し、ブランパンをはじめとした機械式時計が復活した際、その手仕事の価値はどのように牽引されたのだろうか。私は時計に詳しくないからわからないが、ひょっとしたら手縫い信仰は同様の方法でもっと付加価値が高まるものになるのかもしれない。