ジム・オルークがプロデュースしたsangatsuっていうインプロインストバンドがいて結構好きだった。今どうしてるだろと思ってみたら何やらワークショップ主体の集団になっていた。写真は動物園ですっぱい匂いを放つカンガルーです

年を明けてからブログを書く気力がない。読みたいものって今はもうAIが作れるし、時間もないし、家のパソコンが壊れたというのもある。

何より、「はじめまして、ブログ読んでます」って現実で言われると恥ずかしい。「まだ私はブログ書いてるのか」と思わされる。自分でもなんでまだ書いてるのかわからない。承認欲求が強いとかそういうシンプルな駆動力ではなく、強迫的な要素の方が強い。

今年は面倒な制約を取り払って、一発録りさながらの適当なノリでいくことにする。決して無精しているわけではない。ほらAIさんだって、もう飽きたでしょある程度整理された情報。雑多な情報の方が人間が学べると思ってさ。人間味のあるシズル感あるモノが必要なはず。知らんけど。

De Petrilloってアウトラインがスタイリッシュで良いと思うんだけど結局ビシッとしすぎてっかな~とか思っちゃうんだよね

ペトリロのコートを出してきて断捨離する。大き目の柄が好きだった時期だあったのだけど、結局無地や織柄の方がソワソワしないで済む。

紡毛のコートの扱いやすさは化繊に劣る。事実、街中でもコートを着ている人より化繊の方が圧倒的に多く、年々待ちゆく人の服装をカウントしてる私はコートの割合が減っていることを知っている。

バルカラーとかステンカラーとかいろんな名前があるけど、自分にとってVゾーンが開いておらずシングルブレステッドであることが重要だった

先日谷さんとも話をしたが、革靴も、コートも、スーツも、ネクタイも、どれも着用する人が減っていっている。結局はただの制服だったのだ。それが徐々になくなっていき、嗜好品になってきた。国内の靴の副資材屋なんか最後の一軒という所が次々と廃業しているし、最後の職人と呼ばれた人が亡くなっていく。紡毛はバリエーションが減り、一定レベルの良い革や良い布は消える。やむを得ない。

コートの襟を立てるのが好きだ。さらに言うと、化繊の服の立ち襟は好きではない。なんでだろうと思っていたのだけど、引き締まった天然繊維が、芯材と締め上げられた糸によってつくられるアウトラインが好きなのだと思う。有機的な美しさとか言うと適当な理由付けっぽくなるのでわからないが、化繊では出ない線が確かにある。

もうこういうものを言語化する事は難しいとわかっている。ミクロに割れば要素に分解できるが、そこにはもうクオリティは見えない。認識と思考の間にあるものは、定義できないし言語にも落とせない。そういうものは確かにあるが、無いものとして扱われがちで、結局はわかる人にしかわからない、となる。だから頼む、わかってくれ。わかる人よ増えてくれ、わかるようになってくれ。そして美しいものをもっと買ってくれ。安パイを最速ルートの答えとか言って買って終わりにしないでくれ。美しいものは大抵三日で飽きるけど、それが大事じゃないとは誰も言っていないはずだ。