ここには無限の種類の緑色があった。ジョゼは笑いながらよく言ったものだ。『ジャングルなのさ』

クリストフ・バタイユ “アブサン”

ここしばらく、仕事が苛烈である。そのため思いもよらない所でいくつも破綻が生じている。立ち止まって考えると状況の異常さを理解できるが、いちいち時間をかけて考えないと異常さ・危険さがわからなくなっている、という事は恐ろしい。過集中や斉一性の圧力により、自分の状況や全体像を感じ取る力がうまくONにできていない状態、それがたまに起こる。良い方向に作用することもあるのだが、持続的ではない。

これを着ることでだんだん考えが変わってきた。以前はネイビーとかグレー、たまにブラウン、それくらいがビジネスでの色の選択肢とだった。差し色を使うテクニックとか、主張する小さいディティールとか、そういうものを忌み嫌い、極力色数も少なく、ディティールもシンプルに、と考えていた。

ところが、次第にその考えにとらわれすぎているな、と思うようになった。加齢である。「なんとなく着たいしこれでいいか」で選んでいいのでは、と思うことが増えた。

吊るされた森
光の当たり方によっては秋の木立の印象もある
Corcosは背面の肩ののぼりのラインが美しい

宮平さんと話しているうちに、自然体とはなにか、という事をたびたび考えるようになったと思う。行きたくもない飲み会をかわし、軋む体の求めるままに軽い運動をし、身体の沈み込みに合わせて眠る。そんな事をしているうちに、気分を優先して色数のルールを破る、みたいな事をするようになってきた。元々「自分の食べたいものがわからない」という人間だったので自分の身体の信号を受け取る練習にもなった気がする。

フロントの流れる線
襟裏は共生地にしてと言うのを忘れたが、もはや納品時には佇まいの良さに圧倒されどうでもよくなっていた
釦は茶だが、難しいことを考えずに黒靴にも合わせている。ほら、生地に黒が入ってるし、と、気づくと結局理屈をこねている。

細かく見るものでもないと思うが、一応細かく見てはみる。でもどこも抜かりなく、執拗でもなく、なんてことないような澄ました顔で端正。

とにかく表情豊かな生地が好みである。前回のスーツも茶色でありながら緑味を潜ませていたり、言葉にならない質感がよかった。緑、というものは曖昧な立ち位置で、人間の肌色からは最も遠いのに、様々な表情を持つ有機的な存在を感じさせる色だなと思う。言葉のナイフで切り分けができない色。

こりゃ着心地が良いはずですよね
パッチにするかどうか聞かれた気がするが、ジェットの方が最近は気分
コルコスって襟や肩がパキッとしてる割に軽くて着心地が良いのが一番の特徴な気がするけど、世間的にはどうなんでしょう、肩幅とかを見るのだろうか

全体を見る、というのがここ最近のテーマなのだが、一歩間違えるとスピったりファッションに足を踏み入れかけたりするので注意が必要だ。自覚的であること、その一点だけは大事にしたい。自然体になるのかならないのかを決めるのも、自分でありたい。もちろん、無意識下に他人や環境の影響があってこその集積ではあり、結局その集積はどこまでいっても、見方によって何色にも見える無限のジャングルに覆われているだけなのだが。

何も考えず気軽に生きたい