フラショナール・スーツ!ぺデルはどんなに荒唐無稽な夢のなかでも、かつて自分がこのようなスーツの所有はもとより、じかにわが目で見られるとは空想したことさえなかった。おお、フラショナール、カエアン服飾芸術界の帝王とうたわれた大天才!
バリントン・J・ベイリー “カエアンの聖衣”
これがスーツ。
フィレンツェの日本人鞄職人、フィレンツェの日本人靴職人、ときたらトリはもちろん日本人スーツ職人、サルトリア・コルコスの宮平氏である。
イタリアの服は地方によってスタイルが違う。ナポリ、ミラノ、ローマ、フィレンツェ。その中でもフィレンツェは「中庸」と言われる。ナポリスタイルのように芯無しの服や、フロントポケットを突き抜ける縫い目やマニカカミーチャなどの大胆なディティールはない。英国の影響が強い構築的なミラノのスタイルのようなガッシリしたつくりでもない。
よく脇線が途中で消える、とかリベラーノ&リベラーノの話をする人がいるが、フィレンツェが全てそうというわけでもない。特徴をあげるとすれば肩幅が広め、という事くらいだろうか。端的に言えば、アンダーステートメントより、といった印象。
その中で、宮平氏の服はより快適で、自然で、且つ抑制されていた。
ある花曇りの5月、宮平氏はANAインターコンチの一室で、タブレットを使い採寸情報を手早く入力していた。イタリア人のようでも日本人のようでもあり、手際が良く、振る舞いが鮮やか。ストックしている生地が涎が出るほど素晴らしい。話していてもわかる、生地選びに際しての目利きがズバ抜けている。
サンプルを着て驚く。異様なほど軽い。それでいて立体感が崩れず、生地の美しさがそのままアウトラインに沿って発揮されている。このレベルの驚きは数年間味わっていない。アットリーニとは種類の違う感動だが、振れ幅はコルコスの方が大きかった。「多種多様な生地が人間の身体のどこに荷重がかかりどう落ちるか」を踏まえた服作りを行っている。
フィッティングは完璧。難しい箇所もすべて把握されており、自分でもわかっていなかった箇所の難しさを思い知らされた。宮平氏は「身体にフィットする」という考え方は当然の前提で、その先を見ている。スリムとか威厳を、とかではなく、「自然に見せる」という考えを是としている。
生地選びが優れている事は先に述べたが、本人も装う事が好きなのだろうと思わせる提案もうまい。この人は何でもできるのではないか、と思わせる。さすがに場数もあるのだと思うが、まず商談の流れが上手い。時事ネタを織り込んでアイスブレイクから仮縫いに至る流れが自然で、アレグレットに会話が進むので淀みがない。日本のビスポーク職人は何人も話したが、誰にも似ていない明朗さである。テニスもされるようだし、なんというか私には眩しい。ほんまもんのエスタブや。
細かい事はわからないが、「芯と生地が人間の身体からどれくらい離れ、どのように落ちて立体を作るか」に強いこだわりがあるように感じた。人が服を着た時に、その人に適して美しいかどうか、という点にフォーカスして線をつくることに長けているように思える。
これは生地選びのセンスが突出している事も影響しており、見事な提案力というほかない。玄人好みする生地をストックしている事はもとより、ご自身がシーンに合わせて装う事が好きなのだろう、イメージが湧くような表現が上手であられる。
印象深かったことが一つある。Instagramでアンコンジャケットの投稿があったので興味が湧き、今もオーダーできるんですかと聞いた所、「10年着られない気がするし、やめました」。耐久性が無いものを手縫いで作る事に疑問が湧いたようだ。同意。真夏のジャケットって作らないんすか、と聞いたら、「私も夏は短パンポロシャツだし、着ないものは作りたくないです」、と。一貫して無理して着る物は作らない、似合わないならやめたほうがいい、とあくまでも自然に作られたものを快適に着るのが良い、とスタンスが完成している。色や素材、形も提案がクリア。実にさっぱりしている。
納品時には、ラペルを下にギュッと引っ張ったので驚いたが、そうするとフロントカットが適度に流れ、自然に見えるそう。脳裏にジェーン・バーキンがスマスマでエルメスのバッグをプレゼントした際に両足でガシガシ踏みつけたシーンが浮かんだ。
洗練されており、自然に綺麗。普通に快適。元々は「ちゃんと王道を知ろう」という物差しを得る目的であったが、これがクラシックなスーツの頂点の一つだろう、と認識した。誰も振り返らない。普通のスーツとしか思わない。が、どういう意味かわかる人にはわかる。
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