ズボンといっしょに、一とつまみほどの砂が、指のつけ根をくぐって、内股に流れおちる…

安部公房”砂の女”
MIYUKIデッドストック強撚ウール

今やBEAMSで別注モデルが販売されている位有名にはなったが、最初に知ったのは銀座カセドラルだった。「パンツ職人って二人しかいないんです」その話を聞いた段階で二人の名は知っていた。それぐらいパンツ一本でやってこう、という職人は少ない。

ビスポークで受注される五十嵐トラウザーズは、顧客の様々な要望を実現している。カセドラルだし顧客もクセモノが多かったのではないだろうか。オーダー作品を見ている限り、私とは無縁だろうなと思っていたので当時は関わる事はないと思っていた。当時は2タックのパンツに抵抗があり、1タックこそが至高、と長い間考えていたために、2タックで閂をビシビシ埋め込む顔を主役として展開する五十嵐トラウザーズとはすれ違っていた。

タグが小ぶりなのが良い
Vスリットとかは入っていない

それでもまあせっかく国内にパンツの職人が二人もいて、尾作さんのパンツも経験したし、五十嵐さんのもやってみるか、というのが第一のきっかけ。そこで「ちょっと店頭で見せてよ」という趣旨のメールを送ると、知った差出人から返事がある。おや、この名前どこかで見たような。そう、店頭に立っているのは山上さん。テーラー界のアルチザンの頂点の一つ、大島氏に弟子入りし、青山のストラスブルゴ・テイラーズ・ラボで縫っていたスーツの職人である。大きめの上衿でクリーンな印象のスーツが特徴的な職人だ。

タックはポケット側から放射状に角度を付けられており、閂は2・3・4cmと中心に向かって階段状になっている。これぞTHE IGARASHI TROUSERS
サイドはAMFステッチが裾まで走っていく
ネーム入りハンガー、以前はこのマイネッティのものだった。

まあこの山上さん、噂によればパンツが上手らしく(ジャケットも充分綺麗だと思っているのだが)、その点では彼が五十嵐トラウザーズにいるのは縁なのかもしれない。ちなみにladder bespoke tailoringという名でまだビスポークは請けている。noteの更新頑張って。というわけで店頭で(まったく五十嵐トラウザーズに関係のないオーダー関係のよもやま)話も弾み、MTMをオーダーするに至った。

ビスポーク系のパンツでは大概ついてくる持ち出しの下に隠して留めるボタン。このボタン、なんという名称なのだろう。大変なのはわかるが、少なくとも十数本履いた経験だけで言っても効果的だと思うので、既製パンツも全てこれを基本仕様として欲しい
ジップフライにした。上述のボタンはジップフライの右、ウエスマンとの間に隠れるように留める
両玉縁は5mm幅。それほどの細さではなく、この部分の綺麗さは天下のリングヂャケットに軍配があがる。こういうのはaldexとかfive oneが上手なイメージ

2タックのトラウザーはゴリゴリのフレスコで作ると立体感が上手く出て仕立て映えする、という固定観念を持っている。それは五十嵐トラウザーズのような立体をデザインする事を強みとするトラウザーだと一層その長所が活きると思っており、やはりゴツめの生地の方が、という事で強撚の重めのウールにした。

というかここまで五十嵐さんの話が出てきていないが、彼は川崎出身の野心溢れる車好き。兄は隠れたサロンでテーラーを営むレクトゥールの代表。山梨に工場を作り、赤坂にアトリエを構え、精力的に販売も卸売も行い、Ignoreというラインを展開しパンツ以外にも事業拡大。今年なんか山梨もリニューアルしてたような…。とにかく勢いはある方である。

チノをトラウザーっぽく、サイドにアジャスターを付けて
現行のネーム入りハンガーは調達コスト高の影響か、マイネッティではなくなった
やっぱり放射状に2,3,4cm。クリースにつながるプリーツは閂が無いケースの方が一般的なイメージ

ある程度履いてみて2タックにも(精神が)慣れたので、もう一つはイギリス産のデッドストックのチノ生地で作った。そんなにがっしりしている生地でもないので、結構難しい生地かなと思ったがそつなく綺麗に仕上げてきて、さすが自社アトリエを作るだけあるな、と思わされた。

この部分が最もビスポークパンツっぽいといつも思う、知らんけど
もちろん例のボタンはある

特徴は、「寸法より細く見える仕上がり」とのこと。正面から見た時、視線を正面に受ける面を細く見せる仕上がりにしているという事らしい。通常の裾幅より細く見えるとの事だったが、正直言ってその点は幡ヶ谷洋服店のパンツでも試行錯誤した結果、裾幅20cm~でも素材と裾のラインの描き方で細く見せる事ができた。なのでよくわからなかった。尻周りはタイト目に見えるのに、履きやすいというのは実感としてあるが、オーダーのスラックスで尻の補正を失敗しない限りでは履き心地は同じような気もする。

それよりもやはりこの閂付きの深い2タック、これが五十嵐トラウザーズの特徴だと思う。この他にグルカパンツや、コインポケットの前後にプリーツを備えたものがあるが、この放射状のプリーツに階段状に閂が乗っている、この線対称のデザインに惹かれる人は一定いるのでは。

ちなみに、インコテックスやPT01などのようなギュンっとした美脚ではない。あくまでも実直でクラシックなシルエットである。そこにサルトリアルな意匠が乗っかっている。バランスが取れた良いパンツだと思う。繰り返し砂を掻く徒労を続ける我々にはうってつけの一本だろう。