「こいつが一番よく君を覚えていたよ。」と、人差指だけ伸した左手の握り拳を、いきなり女の目の前に突きつけた。
川端康成 “雪国”
靴箱はレザーシューズばかりだ。2021年にVANSを買ったが、売ってしまった。
元々、高校生の頃はコンバース、ニューバランス、NIKEを履いて、その後にUBIQにハマった。その後visvimである。その後はアルチザン沼にハマったので記憶にございません。ただ、一時期chalayan×pumaとかを履いて、その後ニューバランスやNIKEをまた履いた。
何度かスニーカーに戻ろうとしてもすぐ断念してしまう。その中で残ったのがこのLUNGEのAdagioである。
出会ったのは大阪のとあるセレクトショップ。全然知らないスニーカーブランド、いなたいルックス。ハイテクシューズなんです、との紹介に半信半疑で履く。「おっ…まあ…履き心地は良いよねスニーカーだし」、「え?加水分解しないんだ。まあ経験ないけど」、「でもなんか顔が芋っぽいな…なんでこんな顔なんだろう…。ウォーキングシューズなの?へー。」
と、特に買うかっていう意気込みにならなかったものの、東京に帰ってきてからスニーカーが欲しいと思う度、何故か頭から離れない。いや、正確には…足だ。足があの靴の感触を思い出している。栄養豊かな血肉を踏みしめる感触。もう一度と望んでいる。
通販で買った靴が家に来て、箱を開けた。足は覚えている。あの確りとした栄養を蓄えた硬い腐葉土を踏みしめる意気である。
紐を解き、足を滑らせる。Adagioからのソールからもたらされる様々な質感。「これが覚えてゐてくれたの?」と包み込んでくる感触。ほう冷たい。こんな冷たいスニーカー初めてだ。
さて、これで一日歩いてみて本当に驚いた。ニューバランスを最初に履いた時も驚いたが、またそれとは違う驚き。ニューバランスは”走る”事をアフォードされる作りだが、LungeのAdagioはそうではない。というのもウォーキングシューズだからだろう。硬い雲を踏みしめる心地で、少しウエストンのゴルフに近いジャンルだと感じた。歩けば歩くほど疲れにくい気がする。
それにしてもオタクだなぁと友人に言われる。一足だけ持っているスニーカーが、よりにもよってマニアックすぎないか?と。単に、このスニーカーが長持ちしているだけかもしれない。このスニーカーが8年生きるその横でpumaが死に、NIKEが死に、VANSがいなくなっている。
ニューバランスは好きではあるが、ニューバランスマニアが面倒臭く思えて苦手。過去に履いていた時に「xxxか〜、また絶妙なセレクトだね。3ケタはやっぱ…」とか、「4ケタ買ったの?えっ、なんで?1400じゃないのはなんで?」とか、クラシックマニアみたいな偏屈が多くて、あまり関わりたく無い。お前が言うなよと言われたら最後だが。それに、私にはどのモデルも良い感じに見える故に別注を良いなとかポロッと言うと「お前はニューバランスのデザインをわかってない」と面倒な指摘が来る。知るか。なんでたかだかスニーカーでなにかをわかる必要があるんだよ。
低スクールカーストの人間は日陰でニッチな履物を潰していくしかないのだ。激マブ白スニなんてジョックの取り巻き。触れてはならない。
bengal
あの人さま 全然知らないメーカーでした…。やはりスニーカー業が盛んなんですね。
あの人
SCHUH BERTL、Limmerもドイツですよね。履きやすい系譜感わかります。