“I’ve never seen — I’ve never seen such beautiful shirts before”
Daisy(The Great Gatsby)

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シャツはとっても非経済的である。
地肌に直接触れるので消耗は早い。
インナーを着ていたとしても、襟周り・手首周りは肌に触れるので汚れやすい。
色は淡い色が多い為、汚れが目立つ。
おまけにフライス・メリヤス等編物に比べ、織物なのでコシがあり、擦り切れるのも早い。
だからこそ、シャツにこだわる人は経済的に豊かな人が多い。
冒頭のセリフは映画「グレート・ギャッツビー」より、シャツのシーンと呼ばれているものである。
ギャッツビーは色とりどりのシャツを部屋に次々と投げ、
その美しさにデイジーが「こんな美しいシャツたちを見たことがない」と感涙する。
白と水色だけではなく、色とりどりの柔らかなシャツが投げられる。
(2013年のディカプリオ主演版は、なぜか水色のシャツが多く、
幾分保守的なイメージ。ブルックスブラザーズの策略か?)
これはギャッツビーの経済的豊かさを象徴しているシーンでもある。
シンガポールのガイドに聞いた話だが、
東南アジアでは襟がある服と無い服で全く待遇が違うらしい。
だからシャツを着ろと。
まあその分ふっかけられるのだが。
英仏に行った時も、シャツを着ている時とカットソーを着ている時で
ホテルマンやレストランの応対が違ったなと思った。
カットソーの女性が教会で注意されていた例もあった。
こちらはシャツの第2ボタンを開けてたのに、問題は無かった。
スーツに身近なイメージが強いのも理由かもしれないが、
耐久性とメンテナンスの手間がかかることは社会的にも周知されてるはず。
なので、シャツを着ている人は幾分余裕がある人だとみなされるのかもしれない。
ただ、自分がシャツを着る時はステータスを意識しているわけではない。
なぜギャッツビーはシャツを投げたのか?
なぜデイジーは涙したのか?
そこに自分は、ひとつの儚さを感じる。
シャツはいつかは朽ちる。
他の衣服よりそれは顕著であり、まして白シャツなどは汚れや綻びは目立つ。
おそらく衣服の中では靴下と同じレベルで消耗が激しい。
オックスフォードのBDとかは別にして、ドレスシャツは必ず衣服としての儚さを孕んでいる。
洗われ、アイロンをかけられ、時には地肌に着、時には糊をかけられたり。
そのもろさは一つの緊張感にもつながると考えている。
もちろんリラックスして着るシャツもあるが、自分にとっては社会記号的な意味合いも含めて、
シャツを着る時は常に一定の緊張感を纏うことになる。
そしてそれは服を着る時のスタンスとして、一つの解なのだと思う。
何を言っているかわからないので、今日はもうこの辺りでやめようと思う。
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