悪魔はプラダを着るらしい。
天使はエルメスを着るのかもしれない。
でもホストが来ているのはグッチだろう。
そしてこじらせ女子はギャルソンを着るかもしれない。
しかし、哲学者はイセタンを着るらしい。
用があって伊勢丹に行った。
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新宿は豪雨では無かった。
しかし天狗が飛んでいそうな夕焼けは事変といっても差し支えなかった。
そこに哲学者が現れた。
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一見何の変哲もない白シャツに見えた。
しかし。
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おわかりいただけただろうか。
私は「お洒落だ」と言った。
同行人もそう述べたし、当人も「お洒落」だと思ってやったのだと思う。
では、何故これが「お洒落」なのか?
・クロスカンパニーの例のブランドの定番シャツについて理解がある
・その定番シャツの模倣コピーがセレクトショップに溢れている状況について理解がある
・伊勢丹が百貨店であり、製造メーカーではないという理解がある
上記のように、このシャツはタグ一つによって3点捻りの跳躍を成し遂げているのである。
当然ながら各項目について事由を突き詰めて説明する江戸っ子殺しのような事はしない。
もはやここまで丁寧にブログを書いていることにより、半殺しにしているようなものなのだが。
「大衆にどの暗号の解読表がどこまで広がっているかを把握した上で、どのレベルに該当するかを自律的・意識的に選ぶ」
お洒落をする、という事は丁寧に考えればそういうことになる。
そしてまた、暗号の広がり方を計算して選ぶ行為自体が、広がり方をダイナミックに変えていく。
なんと脱構築的なのだろうか。