訳があってよく休んだ。
子供の頃。
風邪を引いたり、インフルエンザなどの病気で臥せっていた時。
苦しい時は本を読んだり、携帯をいじっていることができない。
音楽ですら聴けない。
脳が情報処理を受け付けなくなる。
妄想すらできない。
しかし、眠くはない。
部屋は真っ暗で、外からは微かに車の通る音や、
遠くの児童の登下校の喧騒、箒で落ち葉を払う音が聴こえる。
そういう時は決まって、実家にいた時は一点を見つめていた。
ドアの下、床との隙間、廊下から僅かな光が漏れてくる所だ。
そこだけをずっと見ていた。
本当に何時間もただ、見つめていた。
飼っていた動物や、絵、素材、写真、火など色々と見つめる対象を試したこともあったが、どれも疲れてしまう。
ドアの下の隙間から漏れてくる光、それだけが正しかった。
今回は実家ではなかった。
光は無かった。
仕方なく、ひたすらタオルを見つめた。
良い環境ではなかったこともあり、途中気が狂いそうになって、
タオルが巨大な砂浜に見えたりした。
タオルを見つめるのは向いていないらしい。
その後、ふと実家に戻った。
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病み上がりは、太陽の光を浴びた緑が鮮やかに目に映る。
何かの影響で感覚が閉じていた時、太陽光を浴びた緑は鮮やかに感じる。
爽やかな気持ちがして心地いいな、とも思える。
でも、暗い部屋で見つめていたドアの隙間の光、
あの静けさの方が馴染み深い。
閑けさや、骨に染み入る戸の光。