イタリアのファッショニスタは必ずお直しをする、という話を聞いたことはあるだろうか。

個人的には眉唾だと思っていたのだが、スナップとかを見ていると驚くほどその人自身に沿ったシルエットなので、そうなのだろう。私は既製のパンツを買う際、丈は元より裾幅と三方詰めにまで手を出す。ユニクロのパンツは買った値段以上に直し代がかかるといった事態になったこともある。

しかし合う服を着る事、つまりサイズが合った服を着る事の方が大切である。

シャツにも当然それは言える。袖が長かったり、カフ周りが大きかったりすると、まず袖のボタンを付け替える。脇が余っていればダーツを入れるか脇を詰める。必要に応じて着丈も削ったりする。そういった中で自分によりフィットさせていくことができるが、それはあくまでもサイズ感の話である。

服を着る際に「何をもって自分のモノとするか」という話があった。イニシエーションである。

ある人は「1週間着倒す」とか、ある人は「洗えなくても洗濯する」とか、色々な主義がある。

またある人は「それを着て何回か絶頂に至らなければならない」というフェティシズムを極めた修行僧みたいな人もいた。
自分の場合は特に「この時点から自分の服になったな」と感じるポイントは無いが、あるシャツがしっくりこず、こういう事になった。


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これはscyeのボタンダウンシャツ(記事は昔のシャツで、これは現行の型のもの)である。


3着目を購入したものの、なにかしっくり来ず、改造を重ねたがそれもダメなのでロゴを外した。幾分服との距離が近くなった気がする。

服が、ブランドという住処が無くなって、自分の家に来た感じがした。
タグを取る行為は、「自分の服になったな」と思った時に行うものだと思っていたが、逆もまたさもありなんと思った。

以前、買った服のタグを全てとる人が居たけれど、あれもイニシエーションの一つなのだろう。