買ってしまうワードみたいなものがあるのだが、
ついスウェットを探していた時分に、惹かれた言葉がある。
「エイジング」である。
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フリストフィアというメーカーで、スウェットを主に作っている。
この商品はインディゴ染めをかけており、
ジーンズ同様、「味のある」色落ちをしていくらしい。
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洗いをかけるとやや縮み、着ることにより伸びる。
それを繰り返して着用者の体型に馴染むことが特徴だそう。
リジッドデニムと同じ謳い文句。
同じ店に吊り編み機を使用したものがあり、そっちの方が馴染みが期待できそうだったものの、
1万円を超えるし、この商品の色目が珍しかったのでこちらにした。
「永く使うことによって自分の身体へ馴染み、自分ならではの味がでる」
というアイテムは良い、と思う。
しかしそういうアイテムを買おうとした時、いつも考えることが2つある。
1つは「長い期間にわたり自分が愛用する」という確証を得るのが難しいのだ。
「将来にわたって永く使うと思った自分」の評価指標。
その評価指標がどのように変わっていくのかという、変わり方を生み出す自分の鋳型、
また時代がどのように変わることによって自分の生活に現れる影響、
それらを考慮して選ばなければならない。
そんな面倒な堅苦しいことを考えて服を選ぶだなんて、という人がいるが、
さもありなん、私はファッションを選んでいるのではなく、道具を選んでいるのである。
still goodという感覚がファッションでないのなら、私はファッショナブルでない。
さて2つめはもっと面倒くさい。
「永く共にいることは善なのか」。
この最近の「道具を選ぶ感覚」は最近流行の一つになっている。
流行は対流行を飲み込む。
「エイジング」という言葉でキュンとくるのは私だけではないはずだし、
永く使うというのは今の気分としてあるはず。
以前訪れたモリカゲシャツでやっていたebebeという、持ち込み染め替えサービスとか、
生涯を添い遂げるグラスみたいに、
エシカル気運とも相まってまだまだ大きくなっていくはず。
ひねくれものとしては、安易にこの大河に乗って済ませることは好きではない。
つまり、
永く使えるっていいなーと感じはする。
でも待てよ、これって「気分」じゃないのか?と思う。
「気分」という言葉は、その人の思考の結果出てきたものではなく、
外部から来てその人の無意識に作用している何がしかである。
だから一度、「その道具を永く手元に置くことが本当に良いのか」と考える。
このスウェットはグレーもあったのだが、この色の方が合わせるのが難しい。
これを選んだ時、合わせ易い=定番=思考停止につながるのを恐れた自我が見えた気がする。
本当に買い物って面倒だなぁと思うときがある。