ストック1.Fablizio Del Carlo ファブリツィオ・デル・カルロのローゲージニット

 

ブルータスはたまにファッション特集を組むことがある。とある特集で、聖林公司の代表取締役である垂水ゲン氏が登場したことがあった。

その時に彼が紹介していたのが、谷シャツ商会で仕立てたカルロ・リーバの白のブロードシャツ。

そのシャツは、赤と青の糸であちらこちらを繕われていた。汚れや擦り切れなどがあるたび、自ら補修していったのだそうだ。カルロリーバのタグはかすれ、谷シャツ商会のタグも一度外れたものを縫い付けたような顔。襟羽根の擦れの補修跡、前立ての擦り切れを縫った跡、裏側から青い布を縫い付けた襟元。

私が今まで見た白シャツの中で、ここまで色濃く記憶に残っているものはない。写真一枚、それも襟まわりだけなのにだ。長年使われたものだけに宿る、気迫がそこにあった。

服について情報を求めると、作り手や売り手が「これだけ頑張って作りました」という情報がヒットする。ここまで「買ってね」ばかりの情報ではアンバランスだ。こんなにアパレルが斜陽産業になってモノが溢れてるのに未だに「買ってよ」があっても困るのだ。少なくとも服を楽しむ人間としては。「この前買ったこれ、良くて助かってるよ」という情報があってもいいはずだ。それにこの種のプロダクトには中々出会えないが、稀に出会うこともある。それはまさに「有難い」もので、可能なら供給者に「助かってるよ」と伝えておきたいものだ。

そういうわけで、長年使っており未だに健在でクローゼットで生きている「ストック」ものを紹介していきたい。いずれも死蔵品ではなくまだ着用に耐えている。「長年」の定義は全ク連の基準の2倍程度としよう。

第一回は本当に未だに気に入って使っているニット。ファブリツィオ・デル・カルロのローゲージニット。

 

 ファブリツィオ・デル・カルロの事は正直言って何も知らない。

当時も何も知らなかったが、その厚みと袖の長さと妙な色味が自分にフィットし、「名前が長い」というアルチザン好きに良く効く決め手によりアローズで購入に至った。寒い財布を携え、セール前日に残っているのを確認し、翌日朝駆けで買ったのだ。

 

ミドルゲージ以上のニットは肌ざわりが悪いから嫌い、という自分を変えた転換点のニット。

ウールとシルクとポリアミドの混紡。チクチクせず、防寒性が高く、多くの毛玉ができる。HANDWASHと書いてあるが容赦なく洗濯機にぶち込んできた。

 

もう10年以上前のものなのだが、今でもこのラインはあるようだ。素材も編みもサイズ感も変わっていたが、このパターンは変わっていなかった。

着ていて暖かく楽で、微妙に長い袖丈と着丈が安心感をくれる。何度か学生時代はこれを着て公園で目覚めたことがある。本来はラグジュアリーな生活の方が着るのかもしれないが、ニットなのに頑強で連日の着用にも耐え、暖かさを提供してくれたことには感謝している。

 

相当荒く使っていたのだが、メランジ調のものは汚れが目立たないんだなぁという事と、化繊混は虫害と無縁だし荒く使っても形状維持力高いし強いなぁという事を学んだ。

昔からこの「どっちなんだかわからない」という色味が好きのようだ。ようだ、というのも、友人から指摘されるまでそれに気付かなかった。子供の頃から黒を選んで着ていたつもりだったのだが、いつのまにか「黒は印象が強すぎる」と思い、グレーやグレージュみたいな色が多くなってきたのである。中学時代のある日、友人に「またお前らしい色着てるよな」と言われた時にグレーのTシャツを着ていた私は「ああ、俺はこういう中間的な色が好きなのか」と知ったのである。

今になっても私はこういう色が意識的に好きなのかどうか、わからない。が、なんとなくあるし、いつの間にか着ている。

「なんだかよくわからないけど好きだ」し、「いつの間にか使っている」、そういうものが本当に長く残れるものとなる。生きた道具は、常にそうあり続ける。