あなたはシャツをどんなものだと思っているだろうか?
ただの仕事着?
サラリーマンの服?
首を締め付けるネクタイの友達?
100回目。
今回はナポリの名作、
「ルイジ・ボレッリ」のシャツを紹介する。
私がシャツにハマったきっかけである。
2004年頃。
「ナポリのシャツの至高はボレッリ」と、あるファッションサイトで知った。
当時の私はラング、ステファンシュナイダー、ポエルなど、個性的モードブランドに傾倒していた。
いわゆる「正統派の美」を目指すリアルクローズに興味を持てなかった。
だから、軽い気持ちで手に取った。
「シャツを手に取るぞ」という意識でボレッリのシャツを手に取った。
ところが、違った。それはシャツではなかった。
もとい、それまでのものがシャツではなかった。
一見してわかる襟先が描く曲線美。襟元から襟先にかけて描かれるカーブの、その優美さである。
生地の柔らかさ・しなやかさ。シャツはざりっとした生地でメリヤスには勝てないと思っていたが違った。
きちんと細かく秩序があるステッチ。目立つステッチではないが、縫製線自体が美しい。
手縫いで作りこまれた丁寧さ。わからないようでいて、よく見るとわかる。
あらゆる所に美意識が凝縮されているように感じた。
そして着てみてわかる。
軽い。
動きのストレスが無い。
ふわりとした感覚が肩に乗っている。
しかし、どう見ても込められたものは重い。
私は当時学生であり、シャツというものはサラリーマンが着せられるものだと思っていた。
Uネックのカットソーを着てスキニーデニムとブーツを履いて、チェスターコートを着て、
上述のサラリーマンの服装セットは権威の象徴、みたいな
わかりやすい反抗期の若僧を地でいっていた。
ネクタイもスーツもシャツも革靴も嫌いだった。
あんな窮屈なもので首元を締め付けるなんて信じられない、と。
その頃の私にとって、シャツの存在は「社会」と同じだったのかもしれない。
今でも、シャツにはストレスがある、という点は認める。
が、ボレッリのシャツに出会って、シャツという存在の認識が変わった。
皮膚とカフやカラーとの間に生じるストレスが、着る身体を明朗にしてくれる。
そして一方で他のストレスを極限まで抑え、心を落ち着かせる。
澄んだ心で明朗な身体、それがあれば社会に立ち向かえる。
…現実社会になじめない人みたいなことを書いているが、
あながち間違っていないのでこのままにしておこう。
ボレッリのシャツは、私のシャツの認識を変えた。
「シャツなんてこんなもんだろう」と思っていた、その認識を変えられた。
ついには、そうやって認識を塗り替えるものに出会いたいと思うようになってしまった。
あなたはシャツをどんなものだと思っているだろうか。
bengal
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はじめまして。
アンナですか。あの肩の色気とか余計難しいですよねぇ。笑
太陽が降り注ぐ環境で、しっかりと胸囲が合って、オープンな心意気で、と
困難があります。
ただ、直して自らにフィットさせるのは重要だと思います。
イタリア人も結構やってるみたいですしね。
> はじめまして、こんばんは。
> なんとなく気になっていたAnna Matuozzoを検索していたところ、貴殿のブログを見かけ、拝見させていただいております。
>
> 私もシャツにはまり、FRAY、バルバ、ボレッリに手を出してしまいました。
> ただ、個人輸入で購入したため、特にボレッリはサイズが合わなく、お直しに出してしまいました。
>
> ブログの内容を拝見させてたいただくと、何だかもったいない気分になりましたf^^;
>
> ただ、やはり日本人がイタリアのシャツには体型があわないですね。
ころ
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はじめまして、こんばんは。
なんとなく気になっていたAnna Matuozzoを検索していたところ、貴殿のブログを見かけ、拝見させていただいております。
私もシャツにはまり、FRAY、バルバ、ボレッリに手を出してしまいました。
ただ、個人輸入で購入したため、特にボレッリはサイズが合わなく、お直しに出してしまいました。
ブログの内容を拝見させてたいただくと、何だかもったいない気分になりましたf^^;
ただ、やはり日本人がイタリアのシャツには体型があわないですね。