ナポリの中心でシャツを作る。

今回はいっそナポリシャツをディティールで語るのが粋でないというなら、いっしディティールオンリーに振ってそればっかり書いたろう。

最近伊勢丹とかで見かけるフランチェスコ・メローラ。日本のセレクトショップではMerolla de l’eroだった頃から度々見かける。ぶっちゃければプロベンザーレ同様に、ビームスにて「マイナー故にセールにかかった所を浚う」対象として認知していたブランドである。

メローラと言えば、サトリアーノ・チンクエとかルカ・アヴィタービレとかがセットで想起される。現地で何があったかは深くは知らないしどうでも良いのだけど。

シャツ全般に言えることかもしれないが、襟と肩(アームホール)は最も手縫いの意味のある箇所と言われている。なぜなら可動するからである。

上記写真三枚目の画像の通り、襟は台襟と身頃の縫い合わせ部分を見れば斜めの縫い目があるので一発でわかる。

襟羽根が身頃に沿っているか、とか曲線が綺麗か、という見分けが難しい・抽象的な要素よりも、この縫い目や台襟の第一釦の角度とかを見た方がよっぽど良いシャツを見分けやすい。

袖もわかりやすい。柄ものだとなおさら。

ヨークと各身頃の縫い合わせ面に星留めの跡が見えるかとか、袖との縫い合わせ面の柄のピッチでいせ込みの具合もある程度把握できる。

ちなみにどちらの要素も「外から見て明らかにわかる」ように仕上げている場合とそうでない場合があるが、アーム側の分量を確保したい目的の場合の雨降らし袖を除いて、ただの好み、ハウスの趣向だろう。イングレーゼの方が星留めが目立つのはシルク糸というのもあるがそういうスタイルだからなのだ。

写真一枚目。カフである。円錐型にすぼまれば良いということばかりにフォーカスされがちであるが、その目的は「余った袖生地が袖口にフィットして留まる」ということにある。だから袖の長さが通常のシャツより長めになることで本来の機能が発揮されると思っている。

写真二枚目のように、釦の近くにカンヌキがあり、前立てが裾から途中まで手縫いで縫い留められていることがある。個人的にはさっぱり手縫いにした意味がわからないのだが、まあ有難がれよ、ということだろうか。表に響かないようにってんなら別の方法ないんか。

手縫いのボタンホール。と、前立ての手縫い留め。手縫いのボタンホールが付け心地がどうの、というのはもう聞き飽きたお気持ちだ。付け心地はホールの方ではなく、鳥足とか根巻とか、釦・生地の方がそれを左右する要素は大きい。ETONのシャツBuriniのシャツはどちらもマシンメイドであるが、どちらもハンドメイドのシャツより釦の付け心地は良かった。

 

ところで、手縫いだからって何が良いのか。

シャツの場合、ミシンの方が耐久性は高い。一方で手縫いの場合は柔らかさが出る、と言われる。ただし手縫いの場合の柔らかさというのは「自分の身体にフィットしたパターンであること」が前提に無ければ効能がないように思われるし、その人の身体の動かし方に沿った手縫いの効かせ方でなければならない。量産前提の既製品では到底意味がないではないか、と私は思う。

つまり既製品の手縫いはいわゆる「手縫い信仰」のためだけ、希少性だけのためにあると言っても過言ではない。

既製品のパターンにフィットした人が着た場合に効果が発揮されることもあるのでは?と言う人もいるが、「そのブランドのパターンにフィットした人」が、生地や気分によるものと手縫いの心地よさを峻別できるかどうかという確率は極わずかだろう。そもそもそこまでこだわる人がわざわざ既製品を買うと思えない。

負荷がかかった際に生地の裂傷を避けるとか、着物のように再利用可能にするなどの利点はあるが、現代でそのメリットは少ない。要するに、手縫いのみで良し悪しを判断するには洋服には変数が多すぎて不可能だ。

もし手縫いを積極的に選ぶのであれば、生地やパターンなど他の要素にコストをかけた上で、究極を突き詰める意味で仕方なくあと一歩、というオプションとしてなら良いのだろう。

手縫い問題は根深い。容易く語り終えられない。