グッチ。
創業者の影は消え、グッチ家からも離れ、ドラマにまみれたブランドの王。
高校生の時代、グッチという名前を所持するのは恥ずかしい事と思っていた。
グッチやルイヴィトン、プラダといったラグジュアリーブランドを纏うということは「お金持ちの方々が自分の財力を誇示するもの」という意味を持ち、お金持ちでなさそうな学生が持てばそれは「ワナビー」として人の目に映る。
高校時代に阿呆であった私は、友人が誇らしげに使っていたグッチの白いメガネケースに「努力」と細かく筆ペンでストライプ状に落書きをしてあげたくらい、そういうものを持つ環境としては下町すぎた。
大学になると状況は変わる。
財力の保護の下、純粋培養でグッチやヴィトンを普段使いとして携える人と対面した私は混乱した。
当時、「犬の殺処分場とかでコレクションを開くんだけどモノとしては面白い服ばかり作るブランドみたいなのに傾倒する変わり者のワタシ」派にどっぷりだった私は、「いやまてよ、ラグいブランドも実は本当に良いディティール等があるのでは・・・?」と考えた。
だってこんなに高いくせに生地は国産と同等だし、縫製はユニクロと同じレベル、サイズは外人体型だけど、でも洗うと色抜けとか縮みとか酷いし劣化も早い、何か特殊技術が施されているのでは?4万払ってそんなシャツ買うか?だったら3万のボレッリ買うだろ?世の中の人はそんなに愚かではなくない?
そう考えた私は定番のストレッチの小襟シャツを買った。
今はもうない。
ライターで焼いた。
これはグッチの綿100%のシャツ。
スリムフィットラインである。
見にくいかもしれないがフロントに切り替えがあり、縦の印象が強調される。
ボタンは白蝶。
ラグジュアリー系は結構高瀬貝を使っているイメージがある。
カフはミラノらしいツインバレルカフスである。
当たり前だがボタンホールもステッチも普通である。
もちろんのごとく袖付けは前振りも後付も何もない普通。
脇の縫製は巻き伏せ本縫いではなく二本縫い。
背中の切り替えがモードシャツっぽい。
当時は切り替えを見ると途端にJ.LINDEBERGとかのようにポエルアンテナが反応して高まるアルチザン病だったのでしょうがない。
襟はやや小襟でセミワイド。
綺麗かといえば私はそうは思わない、普通のどこにでもある襟である。
生地もどこにでもある100番手くらいのもの、または100を割ってるかもしれない。
つまり、総じて普通なのである。
このシャツはある程度スリムで袖が長く小襟だからという理由と、グッチへの疑念があったから買った。
世の人はそんな愚かではなくない?と思った私が結局愚かだったわけで、結局グッチの服は「グッチの服を買うことを自然としそこに疑念を抱かない普通のお金持ちのためだけの服」であり、大抵のラグジュアリーはそのようであり続けている。
ブランドの煌めく世界では、同じ場所に留まるためには走り続けなければならない。
そんな彼らは蛇と話す暇もなければ、リンゴを齧る暇もないのだ。
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