以前にも店舗をブログで紹介した、カットソーブランドの最高峰smoothday。
今は直営店は無い。
しかしセールを臨時でやったり、
今後のオンラインショップの立ち上がり・リアル店舗の再開を待っている。
あれから約1年使用している「soft breeze」のカットソーを紹介する。
春夏秋は月に5~6回くらい着用して、着用するたびに洗った。
手洗いとかは一切しないので、洗濯機でガンガン洗っている。
ダメって言われてもスラックスもジャケットもガンガン洗う。
許して杉原さん。
ただ、予想に反して型崩れもそんなに無い。着丈が多少伸びた気がしたのは最初の頃だけだった。
このパッカリングも全然アジ。
最初からこうなっていた気もする・・・。
襟も今のところヨレず、意外と耐久性があるのではないか?と思っている。
今まで、ドレープと鈍い光沢の組み合わせで心から美しいと思った布は二つ。
一つはヨウジヤマモトのコレクションで見たブロンズ色に鈍く光るダークブラウンドレス。
そしてもう一つはこのsoft breeze。
で、やっぱり写真ではどうしても伝えきれないのだが、
このカットソー…というかこの生地、ドレープの美しさが驚異的。
中を覗いた画像で、その美しさを支えるテクスチャーの細かさと、涼しさと優しさの元になる撚糸の清涼感がわかるだろうか。
ところで、素晴らしいワインとそうでないワインで、決定的に違うのは何かと以前ソムリエに聞いたことがある。
彼の答えはこうだった。
「テクスチュアの細かさ。そしてそれを感じられるということは、感じる者として優れているということだ」
納得した。
私は、これは万事に共通することだと思っている。
ある学者は「言葉とはナイフだ」と言った。
言葉は、まとまった概念を切り、細分化することができる。
これは人間の知覚にも作用する。
腕から指先までで「手」という知覚しかない場合、人間が意識して動かせるのは「手」1個としての動きだ。
しかし、「手」と「指」を認識していれば、この二つを別々に意識して動かせる。
これは体の他の筋肉全てに言えることだ。
身体に対しての知覚を細かくしていくことで、それぞれを無意識下から引きはがす。
はがしたレセプターで刺激を捉えること。
これが、「違いが判る」ということなのだと思う。
smoothdayを着ても大して感動しない人もいるだろう。
普段自らの身体を知覚する機会が少ない男性の方が感銘を受けない人は多いのではないだろうか。
しかしこの布地は鋭敏な人が備えている微細なレセプタそれぞれに、快楽を送り込んでくる。
それを知覚しているかしていないかの差は、説明できるかできないか位だと思っている。
知覚していない人には「なぜかはわからないがいつのまにか着てるカットソー」になるだけであって。
言葉はなくても触感だけが異様に訴えてくる。
本物とはそういうものだと思う。
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